【TAKE ACTION_Vol.1 】
「アクションするひと」をテーマに、様々な場所で活躍する女性たちの素顔を紐解く連載インタビュー。
素敵なあのひとが、自分のためにしているアクションって何だろう?という素朴な疑問からスタートしたこの企画では、女性たちのこれまでの歩みと、BRÁCTが掲げる「今、わたしを愛するアクションを」という合言葉を軸に、より健やかに心地よく生きるためのヒントを探ります。
運営チームが素敵なひとに出会ったときに不定期で更新予定です。
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第一回目のゲストは、国境を越えグアテマラ共和国での活動経験も持つ、助産師の神澤杏和(かんざわあや)さん。
第一印象は、からっとしていて気持ちの良いひと。
そして、フランクな雰囲気のなかにも、芯の強さと包容力に満ちたやさしさが漂う姿は、これまで多くの女性をサポートしてきた彼女の歴史を感じさせます。
発展途上国に住む女性たちのリアルな現状や、ご自身が自分のために起こしている“アクション”について伺いました。
―――どんなきっかけで助産師の道に進まれたのですか?
もともと幼少期から英会話を習ったり、学生時代には留学を経験したりと、海外の方と触れ合う機会が多かったんです。それで、漠然と海外で働いてみたいな、という気持ちがありました。
正直、最初は海外に行けるなら職種は何でもよかったのですが、両親が「子どもが好きで、海外でも働きたいなら助産師という仕事があるよ」と提案してくれて。
それまで、助産師という言葉すら聞いたことがなかったのですが、赤ちゃんや子どもが好きという気持ちが強かったので、助産師の道を選択しました。
―――日本で実務経験を積んだのち、グアテマラ共和国に赴任されたとお聞きしました。異国での活動に不安はありませんでしたか?
JICA(ジャイカ)という青年海外協力隊の一員として、1年半活動しました。
赴任先が決定してからグアテマラについて調べていくと、「殺人率32倍」や「ピルトルを持ってる人がいる」など、おっかない言葉しか出てこなくて。怖い思いをするかもしれないという覚悟のもと、南京錠を10個くらい持って出発しました(笑)。
⚫︎助産師のいない国、グアテマラ共和国
―――グアテマラ共和国では、具体的にどのような活動をされていらっしゃったのですか?
伝統的産婆*への指導と、家族計画(性教育)の指導を行っていました。
赴任先のチニケという地域では若年妊娠や多産が多く、妊婦の5人に1人は19歳以下の少女たちです。なかには12歳の妊婦もいました。しかし、医療者の知識や技術には課題があり、妊産婦の死亡率は日本のおよそ40倍以上。まずは、妊産婦の死亡率を削減することを目標に、私が持つ知識や技術を伝える活動を行なっていました。
ーーーグアテマラには助産師がいないと聞きました。
はい、“コマドローナ”と呼ばれる平均年齢60 歳くらいの女性たち(伝統的産婆*)が妊産婦ケアを行っています。自宅分娩率が80%のなか、お産に立ち会えるのはコマドローナと配偶者だけというルールがあり、コマドローナは大きな役割を担っているんです。
ーーー家族計画(性教育)はどのように伝えていましたか?
グアテマラでは「女性に拒否権が無い・中絶が許されていない・夫の許可がないと受診できない」などといったマチスモ(男尊女卑)思想が根付いています。女性たちは男性に隠れて、こっそり避妊注射を打ちにくるケースも多くみられました。
このような背景からも、性教育は大変重要なミッションです。
ただし、性教育といっても直接的な表現はタブー。だから、まずは子ども達に夢を聞くんです。
「夢を叶えるためにはこの歳まで子どもを作らず、学校にいかなきゃいけないね」「沢山の子ども達でご飯を分けたら、ちょっとしか食べられないよね」そんな風に家族計画の必要性を伝えていきました。
*伝統的産婆=地域で出産を手助けする女性のこと
―――現地の方々とはどのようにコミュニケーションを取っていましたか?
グアテマラはスペイン語圏なので、事前の研修期間に基礎を学んでから現地入りしました。
ただ、実際には私が派遣された村はマヤ文化が色濃く残る地域で、使われているのがほとんど「マヤ語」だったんですよ!(笑)
マヤ語って22種類もあるんです、方言みたいな感じで。私はスペイン語を話せる友達を作って通訳してもらっていました。
―――マヤ文化となると、医療にも違いがありそうですね。
そうですね。
マヤの伝統医療では、帝王切開後の傷を早く治すために石を舐めたり、死産のときの痛み止めはアルマジロの皮を煎じて飲んだりします。もちろんエコーなんて無く妊婦検診は夢占い、出産後は貧血状態でサウナに入ったり・・と、かなり文化的な違いがありました。
私も現地の方たちのマインドを知るために、石を舐め薬草を使ってみたりと、実際に同じことを体験することでコミュニケーションを深めていきました。
―――伝統医療が主流のなか、現地の方たちはすぐに受け入れてくれましたか?
現地に入ってすぐは、村で初めての日本人ということや、言葉がままならない事もあり、全然相手にしてもらえませんでした。そもそも助産師という職業がない国なので、いきなりよそ者がアレコレ言ったところで、聞く耳を持ってもらえない。
とにかく最初の半年間はひたすらに情報収集や、現地の人たちとの信頼関係を築くことに注力しました。
救急車の音が聞こえたら走ってその場に向かい、「乗せてくれ!」と頼んで現場に入らせてもらった事もありましたね。
―――現地での食事管理はどのようにされていましたか?
私はホームステイ先で暮らしていたのですが、基本的にごはんを作ってもらうときはお金を払うシステムです。お腹を壊すから、と自分で作る隊員も多かったのですが、私の場合はお母さんがつくるご飯が美味しすぎて!「お金なんていいから一緒に食べよう」と言ってくれて、最終的に10キロ太って帰国しました(笑)。
ーーー生理のとき、どうしていたのかも気になります。
アメリカ製のナプキンが村の薬局で手に入ったので、そこまで困ることはありませんでした。薬局では低用量ピルも処方箋なしで購入できるので、これは日本より進んでいる点ですね。
―――現在は日本の総合病院にお勤めですが、夜勤もありハードな職業かと思います。
ご自身のこころやからだのために『アクション』していることはありますか?
これといって深く意識していることはありませんが、「運動したら健康そうだな」「これ食べたら元気出そうだな」という自分の欲求に対して、素直に答えるようにしています。家にいたらめちゃくちゃ寝ますし。
休日も、人と会うことが多いので、会話をすることでストレス発散にもなり、メンタル的にもいい安定剤になっていると感じますね。
実は、今月から沖縄に拠点を移すのですが、やりたい事はやれるうちに!というマインドなので、具体的なライフプランを立て、キャリアとの両立を実現させていくことも自分のためのアクションと言えるかもしれません。
―――最後に、今後の目標があれば教えてください。
海外での暮らしを経験したからこそ、現地での孤独感も知っています。
今後は、日本国内で出産をする海外の方にも必要な情報やコミュニケーションを提供し、国籍や年齢を問わず寄り添える助産師を目指したいと思っています。
Profile
かんざわ あや|看護師・助産師
1991年生まれ、群馬県出身。
大学卒業後、国立成育医療研究センターで4年間助産師として勤務。その後、青年海外協力隊員として、グアテマラ共和国で1年半に渡り、現地でのお産や性教育に携わる。コロナの世界的流行により日本へ緊急帰国したのち、国内の隊員活動として農業・コロナ対応に従事。現在は総合病院にて助産師として勤務。